ドラマ版鈴木先生の「掃除当番」が切なかった


悟ってしまったが故の美しさみたいなのがあああああああなんか身につまされるうううう('A`)

以下はちょっとネタバレ。8話以降のネタバレはなし。



「不良」「元いじめられっ子」という「特別な事情のある子」に囲まれた中で、「特別な事情のない普通な子」だからこその苦しみが切ない。漫画でかなり好きなエピソードだったのでいい映像化が果たされてうれしい。
特別である事は大変だが、そういう立場であるからこそ「仕方ない」ですまされて免除される事もある。そして彼らがやらなかった分まで、普通の子が「がんばる」事になる。それが作中では「掃除当番」という形で表わされる。
こういうのってあるあるという生徒側への共感と、教師がフォローしきれない色んな事を負わせて普通の子の心を摩耗させてしまう事への罪悪感という教師側への共感でうわああああ


http://www.j-cast.com/tv/2011/05/04094554.html
ドラマ開始当初、こちらのニュースサイトの記事が話題になった。
この記事では「大人しくて優等生が多いクラスはつまらないクラスになり、不良や問題児がいてこそクラスは活性化する」という理屈が「鈴木先生」のテーマであると書かれていた。
だが、「掃除当番」やその他の回からもわかる通り、鈴木先生は「目立つ問題児ばかりにかかりきりにならず、普通の子も尊重しよう」という全く異なるテーマを掲げており、記者はドラマをまともに見てさえいないのが丸わかりだった。「優等生が多いクラスはつまらない」なんて受け取り方ができる箇所は一つもない。
個人ブログで読みとり方を誤って変な感想書くのは勝手だが、仮にもニュースサイトで堂々と変な事を書かれていたのが当時ショックだった。「鈴木先生」と検索したら1ページ目でこの記事が出るから尚更だった。
コメント欄にけっこう誤文への指摘が載っているが訂正されるそぶりはないし、7話まできてこのままだからずっとあの記事を載せ続けるんだろうなと思うと嫌になる。鈴木先生のドラマが面白いのはスタッフが原作に対して真摯でいてくれたからだが、記者も記事の対象に真摯であるべきだ。



6話の紺野のコケっぷりを再度見ていたら荒ぶる気持ちがちょっと落ちついた。ナイスコケ。