最終回前にしていた最終回予想

ふと思い出したのでつらつらと書いてみる。
予想というか妄想と行った方が正しいか。別に「自分の妄想エンドの方が面白かった」とかめちゃくちゃな事を言うわけではなく、本当に「こういう妄想してた」というだけの話。
(しくじって、この記事書く際に、ひとつ前の記事消してしまった……oh....)

エドはお父様を殺害すると思っていた。

お父様は実際には殺されなかった。扉の向こうへと持っていかれただけで、お父様の最期は「死」ではなかった。元々は真理の一部であったと思われるお父様は真理の中で自我を保てずに、再び真理と融合して「消滅」するかもしれず、それは「死」と言い変えてもいいのかもしれないが、明確なる「死」とは大きく違う。
錬金術師がその気になって対価を払えば、かつてクセルクセスで初めてお父様がこの世に生まれた時と同様に、再びお父様を取り戻す事が出来るかもしれない。エドがアルを取り戻したように。そういう可能性が残されている分だけ、明らかなる死の形を見せたラストやヒューズやバッカニアの「死」と、お父様の最期は違う。


お父様は最終戦で若返ったが、あれは正確にはただ若返っただけでなく「若い姿の、人間の肉体」を手に入れたのだと思っている。
以前の老けお父様は皮袋をかぶっているだけの存在だった。皮袋は、プライドの「器」と同義と思われる。外見は人間に似せていても、中身は目玉模様が渦巻いているだけの人間とは遠い存在。でも、若お父様は血も肉もある存在だったのだろう。口から目玉が見えたりと完全に人間と同一ではないし、中に神とやらを押さえこんでいる状態なので色々と特殊ではあるが。だが、殴られれば吐血するし、傷も腫れもできていた。その描写から、追い詰められても外面が剥落するだけのプライドのような構造ではなく、人間に近いのだとわかる。


お父様が最後により人間に近い姿となったのは「エドに殺害されたお父様が、人間らしい姿の死体を残す」という展開のためだと予想していた。


エドは「人のようなもの」を殺さないと誓いを立てていた。
でも、どうしようもない状況の中で、素手で殴るというこの上なくストレートに死の感触が残ってしまう形で、仕方なくお父様を殺すのだと予想していた。殺しはしないと宣言しながらも、仕方なく最初で最後の殺人を犯すのだと。
そしてその死体は、人間に近い素材となっていたがために、他のホムンクルスのように消滅せず、生々しい撲殺死体として残る。
グロテスクな死体となっていても、背格好や髪の色目の色などが若い頃のホーエンハイムに似た面影を残し、すなわちお父様を殺した張本人であるエドにそっくりなまま。
両者は過程は異なれど、ホーエンハイムから生まれた息子のような存在である事に変わりはない。自分そっくりの死体を見つめながら、エドは、かつて生きるために兎を殺した瞬間を思いだし、そして敵を倒した達成感だけでなく悲しみをも感じるのだった…………みたいなシーンを思い浮かべていた。なんかパラレルワールド二次創作小説のようなノリになってしまったw
それで、最後まで名前らしい名前のなかったお父様のために、二つ目の「名前のない墓」をクセルクセスに立てるのかもしれない……というところも妄想していた。


あ、事前に予想していたわけではなく書きながら今思いついた妄想だが、リンたちをシンまで見送る途中でクセルクセスに立ち寄って墓をつくるという展開もありかもしれない。でもそれだと、取り戻せたとは言え相変わらず体が弱っているままのアルをエドが放置することになっちゃうな。病院職員や知り合いなど、看てくれる人がちゃんといるとはいえ、エドは心配のあまりずっとつきっきりになってそうだったし、そうであってほしいところだったし、やっぱりだめだ。


ホーエンハイムとお父様の関係は、どちらかといえば「親子」とか「家族」として捉えているが、「対の存在」「あったかもしれないもう一つの道」みたいな捉え方もあって(別に両者の解釈は反発しあうものではないが)、アニメはその解釈を前面に出していたように思える。
お父様とエドもまた、ある意味では兄弟のようなものだから「家族」だし、また「対」でもある。
エドが右腕を取り戻した直後にお父様が右腕を失い、そして次には左足を失う、といった描写など「対」なのは作者が意図したものだろう。
「子供と老人」という対極の容姿を持っていたエドとお父様が、最終決戦時には「青年と青年」になったのも、意図的かどうかは知らないが興味深い。かけ離れていた存在が近づき、でも結局は交われずに片方が片方をこの世から消す結果に終わった。


思いつくままに書いているうちに論点がどこかへと吹っ飛ぶのが悪い癖だ。
エドがお父様を殺害する、それが事前妄想だった。グロくて悪趣味だが、そこまで突飛でもないと思っている。でもやっぱり、そうはならずに本編がああいう終わり方でよかった。
お父様が迎えた結末は、なにもかもきれいさっぱり消えるのではなく、天国や地獄やらに行って先に亡くなったホムンクルスらと再会できるわけでもなく、恐らくは扉の向こうに永遠に孤独のまま存在し続けなければならない、というひどいものだった。
だからこそお父様に与えられるには妥当な結末だった。お父様好きとしては、プライドのように生き残って人生やり直すエンドとかそういう甘さがほしかったなとか思ったりもするが、流石にラスボスがそんな処遇では締りがない。
最終回以降、陽性エドよりも陰性お父様に、どちらかというと陰性な自分としては惹かれるものがあったりするが、エドのためにもああいう終わり方でよかった。エドは汚れないキャラではなく、人体錬成で名前もつけてあげられないような物体をつくってしまった時点や、腹の中から現実世界へ帰るために賢者の石を使った時点で、少なくともエド自身の視点では手を汚してしまっていた。だったら最後の最後で更に決定的に汚しちゃってもいいと思っていたのだが、アルが取り戻してくれた右手を、殺すためではなく生かすために使っていくという方が希望があった。撲殺死体を作り上げるエンドはやっぱふさわしくなかろう。
エドは戦いの中で、取り戻したてで筋肉の落ちた細い右腕はほとんど使わず、左腕ばかりで戦った。だから、アルを取り戻しに行き、アルに向かって差し伸べた右腕は、左腕と違って血にまみれずきれいなものだった。身の内に汚れた部分はあっても全てが汚れているわけでなく半々で、血まみれの手を持つ一方で、きれいなもう片方の手をアルに差し伸べる、その図が良かった。エドの左腕だけが罪深いとかそういうのではなく、汚れた部分もきれいな部分もあって、きれいな方を愛する者たちに向けるのだという象徴的な意味で。
直後には左腕ででもアルを支えているが、アルを立ち上がらせるために右手を差し伸べ、エドとアルの手が繋がれるあの1コマは感慨深かった。あそこの流れの中で、アルが涙目になっている場面が1コマだけある。生身の右手をつなぎあわせるなんて、あの兄弟にとってはもう5年ぶりくらいだったんだろうな。読者に至っては9年だ。作中でキャラクターたちは本当に長い間がんばりつづけたんだなー。それに比べて自分ときたら(ry

・お父様を倒した後には錬金術が使えなくなると思っていた。

この予想をしてた人はけっこう他にもいただろう。
元は同じクセルクセス型錬金術にルーツを持ちながらも、錬金術と錬丹術にどうして能力差が出来たのか、それはエネルギーの違いだと思っていた。錬丹術は大地の持つ自然の力、錬金術はお父様が国土に張り巡らせた賢者の石の力、なのかと。腹の中から出た後のエンヴィーの発言など、作者もミスリードを狙っていたか、もしくは当初はそういう展開にする予定だったのではないか。


その予想をもとに、連載中にこんな文を書いたりしていた。いわゆるコピペ改変で、元ネタは「ユッキーはそれから2年後に死んだ」で検索すると出てくる。



ファルマンはそれから2年後に死んだ。
あの戦いから4年たった今じゃ思い出す回数もずいぶんと減った。
みんなとはなかなか会えていない。
最後に会ったのはもう1年も前かな。
鋼のはリゼンブールで幼馴染の少女と結婚して
九人の子持ちになった。今は立派な父親だ。
国家錬金術師だった頃の金があるからニートらしい。
アルフォンスはシンで元気にやってる。練丹術を学んでるそうだ。
マルコーはあの歳でパパになっちまってオメデトウというか
なんというか‥‥がんばれ。
リザは東方司令部で軍人さんだ。
今ではオレと絶賛文通中、遠距離恋愛というやつだ。
五十通に一通は返事を返してくれるカワイイ悪魔だ。
ハボックは家業の雑貨屋を継いだらしい。
オリヴィエはブリッグズでまた国境を守ってる。まだ独身だ。
リンはシンで皇帝をやっている。
ガキのくせに生意気だが国のトップ同士でぜひまた対談したい。
スカーは刑務所ん中だ。
まああいつは色々やらかしたから仕方ない。
マリア・ロスはトラックころがしてる。
クリスマスはまた店開いて時々賞味期限切れの食べ物を
ゆずってくれる使えるヤツだ。
それとフュリー‥‥‥は知らん。

そしてオレは今‥‥
いろいろあって大総統やってる。
アメストリスでは錬金術が使えなくなった。
平軍人たちがオレを無能呼ばわりするのがちょっとうっとおしい。
オレはあれから指パッチンはやっていない。
‥‥でもよ、鋼の。オレは最近思うんだ‥‥
また 熱くなりてー‥

今改めて読むと、4年後に9人の子持ちになっているエドウィンリィの出産状況がおかしいとか、関係ないところでツッコミどころ満載だが、とりあえず、お父様を倒して地下の賢者の石が失われた後には錬金術は使えなくなり、新たに錬丹術を学ぶ他なく、もちろんマスタングも指パッチンをできなくなると想像していた。 錬金術はニーナのような悲劇を生んだり、人体錬成で肉体を欠けさせたりと黒い部分もあるが、あくまではそれはどう使うかによるもので、「錬金術」自体は真っ黒ではない、という結末でほっとした。包丁もコンピューターも使いようによっては人を殺せるけど、それ自体は悪いものではないというのと同じような感じで。 錬金術で直したラジオもベランダの柵も、全てが全て人の魂を犠牲にしていたものなんて落ちだったら、途中でアルが言っていた「錬金術の可能性を信じたい」といった決意もなにも台無しになっていたし、錬金術は読者がただただ「なんかすげー、うらやましい」と後ろめたさもなく思えるような物であってほしかったから。 地脈発電とか風力発電とか太陽エネルギーとか、そういうリアルワールドにもあるようなノリに近い自然の力がエネルギー源というのは、事前に想像していたものとは全く違って平穏だった。 ファンタジー作品では詠唱呪文で「大地よ大気よ火よ水よ、我に力を貸せ」的な文句がポピュラーだし、自然の力を使うというのはけっこうよくあるパターンなのだが、エンヴィーさんにすっかり騙された。あの発言は「お父様の作った錬金術でお父様に対抗するとか馬鹿じゃねーの」的な意味での罵りだったんだろうなー

・スカーはメイと共にシンに渡ると思っていた。

スカーは過去にどんな事情があろうと行動はただの鬼畜でしかないし、アメストリスで平和に暮らすなんてのはもう無理で、新たに生きる場所は国外しかないだろうと思っていた。メイと親しくなったのはその展開に持っていくためであり、死亡フラグ回避にはそのパターンしか思いつかなかった。まさかオリヴィエにお持ち帰りされる事になるとはw
国外逃亡は、もう二度とイシュヴァールの地を踏めないという事でもあり、スカーに与えられる罰としては相応なもんではあるが、それはアレックスが気にかけていた「戦場から逃げる」事と同じでもある。「アメストリスで平和に暮らす」のはやはり無理だが、平和に暮らすためにシンに渡るのではなく、過去の自分自身の行いと戦いながらアメストリスで暮らす事にこそ意義がある。
イシュヴァール人たちは「同胞を売らない」としてスカーを匿ってくれる人もいたが、みんながみんなそうではないだろう。「イシュヴァール人がアメストリス人を殺してまわる」というスカーの行いのせいでイシュヴァールへの差別はより強くなり、殲滅戦後も生き延びて暮らしていたイシュヴァール人たちを苦しめる事につながっていただろう。顔面にあれだけ特徴的な傷を持つスカーが、覆面もなしに、殺人鬼であった事を隠してイシュヴァール復興に携われるわけがなく、他でもなく同胞たちからのバッシングが一番強そうだ。
イシュヴァール復興に携わる事はスカー自身の望みでもあるだろうし、真っ当な裁きを受けて死刑になる事と比べたら甘い結果だが、スカーの戦いはこれからなんだろうな。かつては殺そうとしたマスタングとも共同で働く事になるようだが、そこら辺の物語が見たい。


カップル好きとしては、アルメイも好きだがスカメイも好きなので、スカーがシンでメイと暮らすようになるという展開予想に萌えを感じていたりもしたw
普通に読んだ限りではそうは思わないだろうが、カップル脳から見ると、スカーはメイ→ウィンリィ→リザ→ランファンと四大ヒロインらと次々に恋愛フラグを立てているように見えたりした。最後の最後でオリヴィエに持っていかれるとは全く予想していなかった。いや、普通に考えれば恋愛にうつつを抜かす暇なんてないんだろうが。