番外編1「盲目の錬金術師」の感想

第3話とどちらの感想を先に書こうと思ったが、収録順ということで、DVD/BD1巻収録の「盲目の錬金術師」の感想。

タイトルクレジット画面の錬成陣は、本編には出てこない、「盲目〜」だけに登場するもの。
人体錬成の陣だが、陣をつくり出した人物が違うため、エルリック兄弟のつくった錬成陣とはまた異なる。数学などで同じ答えでも過程式が異なるような感じか。
ちなみに、このエピソードは漫画では、パーフェクトガイドブックの書き下ろしとなっている。
単行本しか買ってない人、アニメはテレビでしか見てない人、などはこの話の存在自体知らないかもしれない。パーフェクトブックは持っていないので、漫画の方は昔友人宅で読ませてもらった事があるだけだが、改めてアニメで見た時にはけっこう細かい部分を忘れていた。オリジナル部分もけっこうあるらしい。また読みたいなー


以下は「盲目の錬金術師」及び、本編のネタバレあり。



なんなのこの終わり方うわああああああああ('A`)となる見事に後味が悪い話だった。救いようがない。
だがそこが物語として面白くもある。キャラたちも好みだし。だが好みだからこそもっとわかりやすい幸せを手にしてほしかったと思ってしまう。
整えられたお金持ちの家が主な舞台となっているだけあって、背景美術がきれいで、そこは見ていて目が楽しかった。


他の番外編は過去話など、本編に登場するメインキャラの人物像を掘り下げるようなつくりになっているが、この番外編はゲストキャラたちの物語をエルリック兄弟が部外者として眺めるようなつくりで、カラーが違う。
レト教話、炭鉱話、列車ジャック話などと少し似ている。本筋の大きな波に乗る前の、旅の中で遭遇する事件を扱った短い話という部分が。
それらと大きく違うのは、兄弟の介入によってレト教などの話は良い方向に動いたが、「盲目」はそうはならなかったというところ。「盲目」は現状維持の物語だった。
また、悪心の持ち主の有無という点でも異なる。レト教の話にはコーネロ、炭鉱にはヨキ、列車ジャックにはバルドといったような、利己を得るため悪さをするわかりやすい悪人がいた。だが「盲目」にはそういう人物がいない。悪者が悲劇を起こしているのなら、悪者を倒せば事態解決、という図式が、単純化しすぎではあるものの一応は成り立つが、倒すべき悪者がいなければそうはならない。悪者がいないのに、むしろそうではない者同士だからこそ、悲劇が起こり、それがずっと尾を引いている。
兄弟はこの話においては、ただ訪れ、眺め、去っていくだけ。ゲストキャラたちの物語を垣間見るというよりも、エドたちこそが「主人公」ではなく「ゲスト」という感じがする。




冒頭、いきなりパフェをたいらげるエド
4杯は食べている。エドの食の好みはシチューが好きで牛乳が嫌いだということぐらいしかわからないが、けっこう甘い物好きなのか。
牛乳が飲めない分、乳製品を摂る事で身長を伸ばそうとがんばっているのか。


お金持ちのハンベルガング家に専属で仕えているという錬金術師が、人体錬成に成功した事があるらしい、と聞いた兄弟は、その錬金術師を訪ねる事になる。
その錬金術師・ジュドウこそがサブタイトルにもなっている「盲目の錬金術師」。でも本編で彼が「盲目の錬金術師」と呼ばれる事はない。

ジュドウの主観は、暗闇にぼんやりと人が浮かぶ、といった風に描写される。眼球そのものを失っているジュドウは全盲であるため、彼の視界というわけではない。
この描写の中ではジュドウが相対する人物の、足元と口元がよく映る。目が見える人は誰かと会話をする際、普通は相手の目に意識を向ける。でも盲目であるジュドウは音に反応して、足音と声に意識を寄せるから、こういう表現になっているんだろうな。

ジュドウの主観で進んでいたところ、コツっと杖が床を叩く音をきっかけにするかのように、第三者視点に変わり、ジュドウの姿が現われる。
そばに椅子があるし、座って話を聞いていたジュドウが立ちあがると共に画面も切り替わった感じ。

「昔はこういう顔でした」と作中でかつてのジュドウの姿が提示される事はなかったが、けっこう整った顔立ちの持ち主だったんだろうなーと想像させる。
髪がグレーなのは加齢やショックによって白髪交じりになっているわけではなく、元々らしい。年齢は30代か40代かぐらい? 鋼の錬金術師はけっこう年齢不詳者が多いが、開かれた目が見えないと、余計に年齢が想定しにくい。

この部屋はハンベルガング家から与えられているジュドウの個室かな?
この部屋に限った事ではないが、ハンベルガング家には盲人用の手すりなどが設置されていない。
裕福なんだし、全部屋とまで行かずともジュドウの行動範囲にぐらい手すりでもつけてあげればいいのにとちょっと思ったが、ジュドウに自由に歩き回ってもらっては困るから敢えてつけないんだろうか。
単にこの世界観の中では、まだバリアフリーな設備をつくろうという考えが発達してないせいかもしれないが。機械鎧の発達してる東部では進んでいそうなイメージもある。



ハンベルガング家の門番。
軍人・憲兵以外の職業の人で、アウトローでもない人物が銃を所持している描写は本編中にあったかな?
パニーニャは膝にカルバリン砲なんてものをつけてはいたが、彼女も純粋なかたぎかというと微妙なところ。一般人で銃を持っている人誰かいたかなー、思いだせないだけでいたかもしれない。
アメストリスは銃の扱いがフリーダムなわけではなく、特殊な職業の人以外はあまり持っていないもの、というイメージだった。そのため私人に雇われているだけの門番が、堂々と銃を所持しているというのは意外だった。
許可を取ればどうにかなるものなのかな。猟師とかみたいに。ハンベルガング家ほどの富豪ならそれなりの警備がいるから、銃を持っても構わないと地方の役人にでも許してもらえたのか。というかハンベルガング家がここら一帯の領主だったりするのだろうか? アームストロング家のように軍人家系ではないだろうけど、どういう方法で儲けてる一家なのだろう。


門扉は分厚く、そこにかけられた錠は門番が二人がかりでとめるような頑丈なもの。ハンベルガング家は敷地内に入ればだだっ広く開放的なように見えるが、門の開け閉めの描写だけで、ここが基本的には閉ざされた場所だというのが印象付けられた。話の終わりごろの描写でその印象はより強められる。



ハンベルガング家一人娘のロザリー嬢。ロザリーかわいいよロザリー
この子は甲高い声ではしゃぎまわったり、初対面のアルにいきなりぶらさがったり、いかにも「お転婆な子」という感じ。先ほどのジュドウ主観の中でも、じたばたと飛んだり跳ねたりしている様子が可愛かった。そりゃジュドウも足元に目が行く。
アルにぶらさがりながらの「へーんじん よろいっ へーんじん よろいっ」という歌声(?)が妙に耳に残るw
年齢は8歳くらいだろうか? 女児キャラ同士で比較するとニーナよりは年上かな?
ニーナはもう少し控えめな感じで「遊んでほしいな」と相手をうかがうが、ロザリーは「遊べ!」という感じで強気。どちらも違った可愛さがあって良し!

右側はハンベルガング家の奥方(キャストクレジットで「奥方」だった。ブラッドレイ夫人やアームストロング夫人のように「ハンベルガング夫人」ではないのはなんでだろう)。夫は亡くなっているので、彼女がハンベルガング家の現当主のよう。
左は執事。本編中では名前が呼ばれていなかったような気もするが、キャストクレジットでは「マイスナー」という名だった。執事の中の人は長嶝高士氏。知らない名前だったのだが、この人の声は好みだ。なにかのゲームのCMでナレーションをしていたのを聞いた事があるような気がする。


ここでの、エドとハンベルガング家の面々との会話に気になるところが。
エドが、初対面の目上の人たちに対してため口で話している。
イズミやグレイシア相手など、けしてエドは敬語が話せないタイプというわけではないのだが、なんでここでため口なのだろう。エドの敬語を用いる際の基準はなんなんだろう。ここでのエドは、教えを乞いに訪ねてきたという立場なだけにちょっと引っかかった。ジュドウ相手にだけなら「錬金術師という同じ立場だから」でまあ納得できるが、奥方相手にもため口。
そういえばシェスカやロゼ相手にもため口だった。年上かつ初対面の人相手でも、むしろため口の事の方が多いんだったろうか。


エドは人体錬成について詳細を訊ねるため、ジュドウらと共に東屋へと場を移す。一方のアルは、ロザリーにいたく気に入られたので、彼女の遊び相手として屋敷内で別行動を取る事に。

東屋はよりによってこんな場所。
水鏡に建物が映り、水面には葉が浮かび、水中には魚がいる……と観光名所のようにきれいな場所で、背景美術いい仕事してるなーとときめいたりできるところではあるが、盲人を連れ込む場所じゃない。

その上、話を終えるとエドと奥方だけがさっさと場を離れてしまい、ジュドウは一人東屋に残されてしまう。


ジュドウは盲目の身になってから三年が経っているが、エドを迎えに門前に来た時は執事に手を引かれていたし、離れに行く際には奥方の手を借りているし、一人では満足に歩けないらしい。もちろん東屋から一人で戻ってくる事もできないだろう。
後天的な盲人が不自由するのは当たり前の事ではあるが、東屋へ通じる細い通路はともかく、長く暮らしている屋敷内の平地ですらいまだに歩けないのは不思議だ。
ジュドウはもしかしたら、視力を失ってからは部屋にこもっている事が多くて、一人で歩く訓練を積んでいなかったのかもしれない。身の回りの世話をしてくれる使用人はいくらでも与えられ、リハビリに励まなくてもいいようにしてもらえていたのかもしれない。でもそれは、一人きりではまともに移動もできない状態にさせているという事でもある。
(と書いてはみたものの、あれだけの大怪我だったのだから、そこから持ちなおすだけで長い月日を要していて、歩行訓練はまだやれていなかったとか、個人差とかもあるかもしれない)


東屋でジュドウは、ロザリーこそが三年前に自分が人体錬成で甦らせた人物で、その時に両眼を失ったのだとエドに話す。エドは人体錬成の成功例に初めて触れられた事に喜び、アルの体を取り戻すために具体的な方法を求めるが拒絶される。ハンベルガング家に雇われの身であるジュドウの術は、ハンベルガング家の外に漏らしてはならないと亡きハンベルガング氏が言い残していたためだった。

ここのやり取り、エドが「(人体錬成は)やっぱ可能なのか」と笑顔で言うところは日の光が明るく、自分は人体錬成に失敗したのだと話すところでは暗くなるので、はじめはエドの内面と光の描写がリンクしているのかと思った。だが、相変わらずエドが落ち込み気味な場面でもまた日が差してきたので、単なる自然の描写にすぎないようだったw
本編ではけっこう光と闇の描写とキャラの内面をリンクさせている部分があるので、てっきりここもそうかと。


方法を知ろうと食い下がるエドに「人体錬成なんておやめなさい」「無駄なのです」と言い、憂いをこめた視線をよこす奥方。

引きずるほどに長いスカート(というかドレス?)が昔のお金持ち女性らしい。客人が来たからとかではなく、これが普段着なんだろうなー
言いたい事はあるが言えないとばかりに、奥方が無言でエドを見つめる数秒間は、何かとんでもない事が隠されているのだろうと思わせる緊張感がある。それに見事に釣られて、隠されている何かを暴こうとエドは屋敷内の調査に乗り出す。

エドと奥方が立ち去った後のジュドウのこの様子はなんなんだろう?
目の傷を痛がっているのかな? 大きな傷であるし三年経っても痛むのかもしれない。
他の人が席を立った途端にこうやって顔に手をやるという事は、恒常的に痛みがあるのだろうか。いつも、心配をかけさせないために人前では平気なふりをしているが、一人になるとこうなってしまう、という感じなのかもしれない。実際にはエドと奥方は完全に違う場へと移ったわけではなく、エドはふと振り返ってジュドウのこの姿を目撃していたわけだが。

奥方の「二階の奥の部屋にだけは入らないでください」という言葉に反応し、その部屋を目指して屋敷内をうろつくエド。入ってはいけないと殊更に強く言うのは本音が逆だからというのは青髭からの定番のパターン。
こんな目立つ赤コートではフードをかぶっても逆に正体バレバレだろ……と思いきや、壁が真っ赤なため保護色にw
壁は赤く、絨毯やカーテンは緑、と改めて見るとクリスマスカラーな家だ。全部屋この調子のようだが、ゴージャスっちゃゴージャスだが生活を送るには色が強すぎて目が疲れそうだといらぬ心配をしてしまう。


一方のアルは、ロザリーに鎧の中が空洞である事を知られてしまう。

即座にアルの中に入ろうとするロザリー。怖い物知らずすぎるww だがそれがいい

「もっとすごいの」を見ているからと激しく動揺したりはしないロザリーは、そのすごいものを、「ロザリーの秘密」を見せるためにとアルを例の「二階の奥の部屋」へと導く。
ここのウインクロザリーが可愛くて可愛くて。ひみつ、と言ってから少し間を開けて小首をかしげながら片目をつぶるのがたまりません。



例の部屋の、白い天蓋に仕切られた空間の中にあったのは、ロザリーと同じ髪の色をした少女らしき姿のミイラのようなもの。
これこそがジュドウの人体錬成によって生まれた「本物のロザリー」で、現在のロザリーは孤児院からもらわれてきた「偽者のロザリー」。偽者のロザリーの本名はエミ。つい混ざって、何度か「エミリー」って打ちそうになった。
エミの髪色も緑の瞳も奥方そっくりで並べたら普通に親子に見える。その上、ロザリーと同じ年頃で、恐らくは盲目のジュドウを欺くために声も似ている、という完璧にそっくりな子を見つけるのはけっこうな苦労だったろう。
エミは学校にも通っているのだが、ジュドウの前でだけではなくそこでも彼女は「ロザリー」を演じているらい。この世界の学校事情はよくわからんが、現代日本の小学校とかとあまり変わらないのなら、3年前ならロザリーはまだ学童ではなく、屋敷外にもそれほど頻繁に顔を出していたわけでもないだろうから、外部に対してなら入れ替わりは容易だろう。


「本物のロザリー」の背後にある花々は動画だときらきらと光っており、アップだとつゆのようなものも見えるので、造花ではなく生花。
ほこり一つないような部屋でたくさんのぬいぐるみが置かれているだけでもすごいが、より手入れに手間がかかるであろう生花を飾りつけるとは、どれだけ「本物のロザリー」に愛情がかけられているかがわかる。切り花かどうかはわからないので、毎日花の入れ替えをしているというわけではないかもしれないが。
「本物のロザリー」は、外見は乾ききったような感じだし、言葉を発さないしと死んでいるように見える。それでも時々、意味のわからないわずかな動きを示す事から、一応生きてはいる様子。
奥方らは、彼女が生きていると信じ、動きも話せもしない生き地獄のような状況の彼女の心が少しでも和らぐようにと環境を整えたのだろう。膝の上に乗せられているうさぎのぬいぐるみは、ロザリーが特に気に入っていたものなのかな。
鳥かごの中の鳥は人形ではなく本物だろうか。
辺りに置かれている本はかつてロザリーが持っていたもの? 「本物のロザリー」の髪をといたりするために頻繁に出入りしているらしきエミのもの?
エミがただ身代わりを演じるだけではなく、まるで友人に対するかのように「本物のロザリー」に話しかける様は、普段けっこう奥方らの救いになってるだろうなー。「本物のロザリー」のために同世代の子を呼んであげる事などできないから。


この話が発表された当時は、まだ人体錬成は果たせるものなのかどうかが作中で発覚していなかった時期だと思われる。作中キャラたちにも、読者にも。
でも今の漫画既読者の視聴者には、この世界においては、どう手を尽くそうとも死者の甦りは不可能であるとわかっている。ミイラ状の物体は甦ったロザリーでは有り得ない。
内臓など生物として機能するに足る必要最低限の器官を精巧に錬成したがために、魂はないのに一応生態活動を行う生き人形のようなものができてしまったか、あるいは錬成時に付近にいた虫とかの魂が定着してしまったのかもしれない。


アルは慰めのために「本物のロザリー」は本物だと言うが、だからこそ自分は「この家の本当の子にはなれない」とエミは話す。
孤児院での暮らしは辛いものであったらしい。最低限の衣食住は足りているが家族という存在だけが欠けているという状況なのか、もっとひどい状態だったのか。アメストリスは貧困層への福祉は整ってなさそうだし、後者かな。エルリック兄弟にはロックベル家という面倒を見てくれる馴染みの相手がいたからそうはならなかったが、少し違えば、トリシャ亡き後に兄弟も孤児院送りになっていたかもしれない。
ハンベルガング家に来るまでの生活が辛かったとしても、それまでに名乗っていた名前を捨てないといけないのはどんな気分だったんだろう。エミとして暮らしてきたそれまでの人生をなかった事として扱うようなものだ。エミのままでは受け入れられない、かといって本物のロザリーにもなれない、どっちつかずすぎる。
孤児院の暮らしに比べればお金持ちのお嬢さんとして暮らすなんて確かに恵まれた環境ではあるが、これぐらいの年頃の子だったらもっと欲張って「本当の子」になる事をも望んでもなんらおかしくないのに、エミは生育環境故に諦め慣れすぎている。
「エミ」として受け入れられるという事は人体錬成の失敗を突き付ける事でもあり、それはジュドウを傷つけ、ジュドウを慕うエミ自身をも傷つける事になってしまうから、曖昧なままの方がいいと彼女は思っているのだろうか。


人体錬成直後の回想。

効果音や動画など、血の表現が「液体が流れる」というより「固体が落ちる」ような感じ。
失われる部位は手足などでも十分に辛いが、目で見て何が起こったのかわからない分、眼球の方が恐ろしい。イズミは視認できない内臓を失っていたが、それもまた怖い。

錬成陣のすぐそばに奥方と、健在だった頃のハンベルガング氏がいるが、ジュドウの叫びを聞いて駆けつけたという感じではなく、ハンベルガング夫妻公認の上で、最初から彼らが見守る中で錬成が行われたのだろうか?


「教えてください 私の理論は完璧でしたか お嬢さまは……」
「ジュドウ 安心しなさい 君の錬成は完璧だよ 娘は我々のもとに帰ってきた 元の姿のまま」
自分の顔がどうなっているのかを聞くより先に、ロザリーの安否を聞くジュドウ。「お嬢さまは無事に戻ってきましたか」といった言いまわしではなく「私の理論は完璧でしたか」という言葉を真っ先に選ぶところが錬金術師らしい。

愛情と忠義だけで人体練成に踏み切ったわけではなく、前人未到の難易度の高い術に挑んでみたいという思いもあったようだが、ここの笑顔と「ロザリーお嬢さま」という絶叫からは愛情深さが感じられた。



ジュドウの人体錬成陣とエルリック兄弟の人体錬成陣比較。
もやなどで細かいところはわからないので、設定資料集でも出してくれないだろうか。



アルとエミのやり取りを見届けて真実を知ったエドに、奥方は、ハンベルガング氏の意向に従い自分から話す事はできなかったが、真相を知ってほしくて引っかけたのだと明かす。

エルリック兄弟がハンベルガング家を訪れた時は空が青かったが、二人が帰る頃には夕方になっている。
東屋に放置していたジュドウを迎えに行く奥方。エルリック兄弟に真相を伝えている間に、万一ジュドウが立ち聞きでもしてしまわぬよう、あんな場所に連れて行ったのだろう。
向かい合うジュドウと奥方の表情、二人で共に歩く姿……穿ちすぎかもしれないが、主従関係や疑似家族愛ではなく、男女の仲なのでは?と思えてしまった。昼ドラみたいな発想だがw

人体錬成時の回想では、きらりと光っている奥方の結婚指輪が印象的だった。
でも回想ではない現代の奥方からは、結婚指輪を確認する事ができない。
結婚指輪の外された指が映されたというわけではなく、右手を左手の上に重ねたりするせいで確認できないだけなのだが……結婚指輪が映らないのは、もしかしたら偶然ではなくわざとなのではないか。
ひょっとすると、ハンベルガング氏が亡くなる前から奥方とジュドウはデキていて、ロザリーの父親はジュドウだったりしてな。ロザリーの髪と瞳の色は丸ごと奥方譲りでハンベルガング氏の面影が全くないのでありえるかもしれない……流石にないか。ないよな。昼ドラすぎるな。作者とスタッフにすみませんしないといけないレベルに妄想すぎるな。すみませんすみません



「我々使用人全員で彼を騙しているのですよ そしてこれからも騙し続けるでしょう それで皆がいつも通りならそれでいいんです」
と執事はエルリック兄弟に語り、門番はその会話を聞いて微笑む。執事の笑みは苦笑といった感じだった。「騙す」という言い方もそうだが、自分たちの行いを執事は完全肯定できているわけではないようだった。でも門番はなんかいい笑顔だ。

ハンベルガング家ほどの規模なら、屋敷内に出入りする使用人の数は軽く三ケタぐらいはいってそうだ。
知らされているのは寝泊まりする使用人のみだったとしても、やはり数は多そうだ。大勢の人が真相を知りながら、三年間も外部に情報が漏れだして騒ぎになる事はなかったというのはすごい。
噂という形でエルリック兄弟の耳に届いたのは、もしかしたら何人か口の軽い人はいたのかもしれないが。でも、現在に至るまで無事に済んでいるという事は、ジュドウが雇用主にすぎないハンベルガング家の面々を愛したのと同様に、他の使用人たちも、ハンベルガング一家とジュドウを愛していて、屋敷内で一つの家族関係のようになっていたのかもしれない。



執事は、真相を知っているエルリック兄弟の前でもエミを「ロザリーお嬢さま」と呼ぶ。「ばいばい」とエミに手をふられたアルも、やはり同じように「ばいばいロザリー」と言う。エミをエミと呼ぶ人は誰もいないんだろうな。

アルには表情はないが、ばいばいという声は穏やか。一方で、エドは怒ったような表情で無言のまま。手をふりもしない。



門扉が閉められる様は、物理的にただ閉ざされただけではなく、ハンベルガング家と外の世界を分かつ境界が敷かれたかのよう。
三者に真相を語った事でハンベルガング家の住人たちの心は少し軽くなったかもしれない。でも、エルリック兄弟の訪れによって歪な状態が変わったわけではない。物語の最初で開けられた扉が再び閉められる姿は、闖入者が去り、またいつも通りの日常に戻った事の表れでもあるのかもしれない。


「みんないい人だったね」
「ああ だけどみんな救われねえ」


門扉が閉められる中で発したアルの言葉に、門扉が完全に閉ざされ画面が暗転した後にエドは返答する。そしてエンドロール。
このやりとりがなんかもうなんかもうあああああああああああああああああああああああああとなってしまうああああああああああ
アルの声は「ばいばい」と同じ調子で、さびしい感じはしても、あくまでも穏やか。無理してしぼりだすような声でも、棘がある感じでもない。エドの声はなんだろう、怒ってる? 表情も微妙なところで、複雑な思いが色々とこめられていそうだが、怒りが一番強く感じられた。あのままの状況を保ち続けるであろうハンベルガング家に対しては「そのままでいいのかよ」みたいな感じで、なにも出来ずに立ち去るだけの自分の無力さに対しては「全て知らされながらなにもできないのか」みたいな感じ、というところだろうか。
個々のシーンについては色々言いたいところがあったものだが、ラストのこのシーンはあああああああああああああとなるばかりであまり言葉が出てこない。やるせない。



人体錬成を行って帰ってきた人々は手パンができるが、ジュドウはどうだったんだろう。
エドの例を見るに「人体錬成の陣が発動→真理を脳に叩きつけられる→白い空間に行く→真理の対価を奪われる」という順番だから「眼球が対価だったせいで真理を見られなかった」というわけではないよなー。アルのように覚えていないだけで、一応見ていたのだろうか。
ジュドウは人体錬成後、錬金術の研究などは継続しているのだろうか?
盲目では難しそうだ。人体錬成という、錬金術師にとっては最難関といってもいいような事を成し遂げたと思っている状態なのだから、もう更なる研究は行っていないのかもしれない。主人の愛娘を取り戻したという大業を成した自負があるのだから、研究せずに扶養生活を送ろうとも罪悪感はないだろう。
ジュドウ自身がかつて言った「考える事が出来るのは人間だけ」という言葉や、本編でリザの父が言っていた「考えることをやめた時、錬金術師は死ぬ」という言葉と、恐らくはもう錬金術師としての思考は止まっているだろうジュドウを重ねてしまう。


最終回でのお礼参りでは、エルリック兄弟はハンベルガング家も訪れたのだろうか。
その頃にはもう兄弟は「本物のロザリー」が本物では有り得ない事を知っているが、その事を明かしたんだろうか。
ジュドウ以外の人たちにはもしかしたら教えたかもなー。描かないだろうけど、お礼参り編が見てみたい。


この話のエンドロールで流れる『Happiness ~Requiem from“The Blind Alchemist”』はタイトルからして専用曲で、他では使われていなかったかな?どうだったっけな?
(24日追記:30話などで、本編挿入歌としても使われていました。)
直訳すると『幸福 "盲目の錬金術師からの鎮魂歌"』という感じ。
Requiemは死者への祈りを神に捧げるための曲。この話の中では他にもハンベルガング氏が亡くなっていたりするが、ここで歌を捧げるべき死者といえば、ロザリーだろう。
曲のタイトルは、ジュドウからロザリーへとRequiemを送る、と受け取ればいいのだろうか。ジュドウがいつかロザリーの死を知ること、というか甦ってはいなかったのだと知ることを暗示させているように思えた。
『Happiness』の部分はなんなんだろう?
ジュドウは事情を知る人が傍から見ると哀れこの上ないだろうが、真相を知らない本人からすればものすごく幸せな状況だと思う。でも真相を知れば一転して不幸のどん底に落ちかねない。自分は見ていてそう思ったし、作中でのジュドウの周囲の人々もそう思っているだろう。でも、ジュドウが全てを知りロザリーへとRequiemを送れるようになる頃には、案外そんなに不幸でもなくて、現実を受け入れた上でもHappinessな感じかもよ、という事かな。だったらいいな。
英語弱いのでもしかしたらものすごく初歩的な読み間違えしてるかもしれないが。