27巻の感想 3 プライドさんについて

プライドの「核」とはなんぞや?何故胎児の姿なのか?と考えていた。

ぐだぐだ書いているうちに長文になってしまったので要旨のようなものを先に書いてみる。
・プライドの「核」が胎児の姿なのは、お父様の「憧れ」が反映された結果。
・お父様は胎児→赤子→幼児、というように普通に成長していく「人間」に憧れていた。
・人間に憧れたのは、ホーエンハイムに「家族」として愛されたかったから。
・お父様が「家族」を求めたのは、お父様に血を与えた当時のホーエンハイムが求めていた願望をも受け継いだから。


大体こういう感じの事を以下、長文で書いている。


プライドの体は三重構造になっている。便宜上の名前をつけるなら外から「器」「影」「核」。
「器」――セリム・ブラッドレイの形をしたもの。行動に制限の多い「影」を包み込む容器。大体5〜15歳以内での外観の年齢操作が行える。ラストやグリードのように「特殊能力があるだけの人体」という仕組みではなく、攻撃しても血が出たりはしないし、そもそも血や内臓などが存在しない。強靭な皮膚を持つスロウスも激しい攻撃を受ければ傷つくが、プライドが同様の攻撃を受けても器は多分壊れない。しかし、外観に現れないだけで、全ダメージを無効化できているわけでもなく、一定以上のダメージを受けると(賢者の石の残りが少なくなると)崩れる。運動神経などは一般の子供程度のものしかなく、「器」のみが近接戦闘で攻め手側になる事はない。
「影」――フラスコ時代のお父様に近似した姿。自然界に存在する普通の影とは異なり、質量を持つ。紐のようになって緊縛する事も、槍のようになって攻撃する事も可能。セントラルとブリッグズという遠く離れた場所同士での行き来も大して時間をかけずに行える。戦闘力はホムンクルス中では最強と思われるが、完全な闇や、強い光の中では活動ができない、国土錬成陣の外には出れない、などフラスコ時代のお父様同様に行動制限が多い。
「核」――胎児の姿をしている。エンヴィーの肩・スロウスの右目・ラストの腕にあるような、ホムンクルスたちが持つ幾何学的な模様をひたいに持つ。普通の人間の子供であればまずすぐ死んでしまうような、片手の上に乗るほどの極小サイズ。そんな小ささでありながら「ママ」と発声できる。成長する事ができるが、その速度は通常の人間よりも速い様子。成長・老化全てが早送りのようになっているのか、かつての「器」ぐらいの年頃になったらストップするようなものなのかは不明。


長い間「器」と「影」の二重構造で成されるものがプライドである、と思っていたので、影の中に更に胎児状の「核」があるというのは当時驚いた。
生まれつき与えられただけの根拠のない傲慢さを打ち砕かれた末に現れたのが、ただ母親を求めるだけの存在、というのは、プライドというキャラにそぐう姿だったので「引っ掛かり」みたいなのは特になかったが。
でも、何故「核」が存在するのか、何故お父様のかつての特徴をそのままコピーしたような「影が本体」の存在ではなかったのかが後になって気になった。


プライドの「核」は何故、胎児状なのか。
1.お父様がプライドを生みだす際にそう成形した先天的なもの(意図的にせよ、無意識にせよ)。
2.母性を求めるようになったプライドの願望がそのような姿に自身を変化させた後天的なもの。


2ではなく1であると思う。
2のように願望通りに自在に姿を変えられるのはエンヴィーの専売特許であるだろうし、表面的なものではなく「真の姿」すらも意思の力で変化させられるものなら、同様に「核」のようなものを持つエンヴィーは自身の「核」をあんな姿にはしなかっただろう。
(「傲慢」を打ち砕かれたプライドと違って、エンヴィーは最後まで「嫉妬」を乗り越えられなかったし捨てられなかったようなので、そこら辺の差異もあるのかもしれないが)
どんな生物にも変身できるエンヴィーの「核」が、色んな生物の元になる姿である原始生殖細胞に似ているというのは、逆に言えば他のどんな生物にもなりきれない未熟な半端物である事への象徴のようで侘しいものがあった。また、手足を無機物に変えることはあっても、完全に全身を無機物に変える事がないのは、エンヴィーの中にそういう発想がなかったからではなく、能力的な制限の問題なのだろうと「核」のあり方を見て納得できた。


エンヴィーの「嫉妬」の感情も、具体的に嫉妬の理由となっている醜い姿の「核」なども、お父様によって造られ与えられたもの。プライドの「核」も同様で、1が正解でないかと思う。
エンヴィーの「核」があのような姿なのは納得できる。前述したように、その姿をしているだけで他者を嫉妬するに足る醜さと、変身能力をもつ者としての「らしさ」がよく出ている。
お父様がホムンクルスを生みだす過程が、
「嫉妬を生みだすぞ→ポコッ」
みたいな感じで無意識のものが反映される形なのか、
「嫉妬を生み出すぞ→こういうデザインでいくか→いや、これじゃ前の奴らとキャラがかぶる→この案だとちょっと要素つめこみすぎだな→これじゃ薄すぎる→(中略)→よし、これが決定稿だ→ポコッ」とか、
「嫉妬を生みだすぞ→ポコッ→こねこね→完成」
とかのような感じで具体的に内容を定めた上でメイキングされるのかは不明だが、ホムンクルスの造形にはお父様の内面が反映されている。
1の説でいくならば、「傲慢」としての「核」が胎児の姿となったのはお父様の内面が影響した結果という事になる。


お父様はフラスコの中にいたころ、プライドのように「影」のような姿をしていた。
その姿や環境を厭った結果がクセルクセス滅亡だった。
お父様は「影」の姿を嫌っていた。一番最初にその姿に似たプライドを生みだしたのは、自分の中の一番嫌なところを排泄して切り離したいからではないか。
(ただ、七つの大罪はいずれも、お父様本人が切り離したつもりでいるだけで、それらの感情は相変わらずお父様の中に内在されていたと思っている)
「影」はお父様が自分から切り離したかったコンプレックスのような部分、「器」は単に暗躍への利便のために与えられたもの。では「核」の姿はなにかというと、コンプレックスと表裏一体の、お父様にとっての「憧れ」が形にされたものかもしれない。


お父様はホーエンハイムに言われた「人なみに家族が欲しかったのではないか?」という言葉を否定しつつも、明らかな動揺を見せた。図星だったからだろう。
かつてのお父様はホーエンハイムに対して好意を持っていた。お父様なりの「義理」もあったのだろうが、クセルクセスの人々からつくった賢者の石を敢えてホーエンハイムに与えた事などから見るにそうだろう。
お父様は、知恵を授けて奴隷から錬金術師へと育て上げたホーエンハイムを、子を見る親のように思っていたかもしれないが、同時に、血によって自らを生みだしてくれたホーエンハイムを、親を見る子のような感覚で見ていた部分も大きそうだ。
でもホーエンハイムの方には、お父様を、子としても親としても見る気持ちは全くなかった。多少の愛着を持っていた時期もあったようだが、エドやアルやトリシャに向けるような家族愛は最初から最後まで一度も持たなかった。
どうしてホーエンハイムがお父様にそういう感情を持てなかったと言えばものすごく簡単な話で、お父様が人間ではないから。ホーエンハイムとは姿形がまったく違う別種の存在であったから。
自身に似る姿の存在がない孤独の中でお父様はホーエンハイムの姿を模倣するが、自身と完全に同じ姿の存在は、全く別の姿と同じぐらいに気味が悪いものとしてお父様は拒絶された(その姿になる過程も問題ではあったが)。
ホーエンハイムは、エドとアルがトリシャの腹に宿り、生まれ、幼児へと育っていく過程を見る中で、より子供への愛を強めていくようになった。
プライドを造った時、お父様はその事を知らなかった。それでも、真っ当に母体に芽生え、赤子として産まれ、成長していく「あたりまえの人間」でなかったから、自分はホーエンハイムから家族扱いをされなかったという事には思い当っていただろう。そういう生を受けてさえいれば、という思いも同時にあったと思われる。
そのような普通の人間としての姿に憧れた結果がプライドの「核」の姿となった。
「影」の姿は「切り離したかったもの」、と書いたが、人間に憧れてしまうといった感情もまた、お父様にとっては切り離したかったものだったのだろう。だが人間になりたいという願いは「本音」でもあった。
国土錬成陣、神になる、そんな大層な計画が崩れた先に残ったものが、お父様の「本音」であり「真の願望」であるプライドの「核」だったと思えば、最終回でのお父様が死んだ時、展開は予想していたのに思いの他悲しんでしまった者としては少し救われる。お父様とプライドは別個の存在だし、プライドと核セリムもまた異なるものではあるのだが。


お父様はどうして家族という存在を求めたか。
1.ホーエンハイムの血を受けて発生した時からの先天的願望
2.ホーエンハイムと共に暮らす中で芽生えた後天的願望
これはどちらとも言い難い。両方かもしれない。
10代後半ぐらいの孤児の少年奴隷であったホーエンハイムは、自由と権利と家族を欲していた。それが血を与えられたお父様にも生まれつき受け継がれていたとも思えるし、知識だけしか持たず経験のないアンバランスな存在であるお父様が、最も身近に存在するホーエンハイムの語る夢に同じように魅せられたのかもしれないとも思える。
「お父様はやってる事は壮大だが、キャラづけは小物っぽくないか」とよく言われている。
なにも持たない奴隷少年の夢を肥大化させたのがお父様なのだから、お父様が小物っぽいのは、作者が意図していたかどうかはともかくとして、成り立ちを考えれば当然の事なのかもしれない。
お父様は真理くんに「盗んだ高級品を身につけて偉くなったつもりか」と問われている。1が正しいとすれば、お父様はクセルクセス人たちから搾取した「力」だけでなく、力を得たい理由としていた「願望」すらもホーエンハイムからの借りものにすぎなかったのだろうか。それでも紛れもなく、その願望を抱えながら生きたお父様の数百年の生涯は本物で、だから惨めだ。


ホーエンハイムが、親が子に対するようにして、お父様を受け入れられなかったのは仕方がない。
前述したものでは、お父様がやらかした事の大きさやら、種の違いなどが理由としてある。他に、ホーエンハイム自身が親を持たず、親からの愛を知らなかった事も挙げられる。情としての意味で親代わりといえるような人物もいない環境だっただろうし、エドが生まれるまでは「親子」というものを感覚としてわかった事はないかもしれない。だからお父様を親子のようには愛さなかった。エドとアルにふれて親子としての感覚を知った時には、お父様はもう遠すぎる存在になっていたから、やはり後から家族のような感情をあてはめる事はできなかった。
ブラッドレイ夫人は違う。多分恵まれた家庭環境で幸せに育った令嬢で、裕福な環境に自堕落せず、荒んだ事態に遭遇しても強さを持てる人物。少年奴隷のさびしい願いが何度か転じた末に生まれたセリムという存在を、彼女なら息子として愛し続けてくれるだろう。
そんなブラッドレイ夫人とちゅっちゅしたい。