第1話「鋼の錬金術師」の感想

2009年4月5日放送。
振り返ってみればもう一年以上も昔なんだなー


作業用BGMのような扱いも合わせてアニメは何度も見ているのだが、最終話から1話に戻ってくるたびに「マスタングの声が違う!」と感じる。
アルとヒューズは安定している。エドとリザはちょっと変わった気がする。そしてやっぱり一番声が違うと感じるのはマスタング
言い表しにくいが、終盤の方が声が「生っぽい」というか、かっこつけてない。序盤はかっこつけている感じ。
役作りがまだ定まらぬ感じだったのか、体調やら収録環境の違いなのか。


以下ネタバレなどあり。
アニメオリジナルシナリオとなるこの第1話は、アイザックマクドゥーガルというオリジナルキャラクターを介し、本来ならもっと後になってから触れられる様々な謎を提示させるという造りになっている。アイザックについては単独記事(12)で書いたのでこちらでは割愛。
原作未読者に対するキャラ紹介回というよりも、既読者に対して「原作中盤以降に出てくるエピソードをアニメでもちゃんとやりますよ」と宣言するためのもののようだった。
既読者の多くは「ああちゃんとやってくれるんだ」という安心感よりも、「この部分はあのエピソードで明かされるからこそいいのに、オリジナル展開で先にネタバレするなよ」という憤りの方を感じていたかもしれない。
当時はけっこう酷評も見かけた。それでも、自分は見ていて安心感と期待の方が上回っていた。
1話でマスタングの無能アピールをするという事は、スカー戦でのやり取りはなくなるのか?とそういう方向の心配はしたが。



錬成光について。

錬成光を、通常の錬金術の場合は青色、賢者の石を用いる時は赤色、というように色分けするというのはフルカラーのアニメだからこその表現でわくわくした。
自分の中では錬成光は黄色というイメージだった。
光→電気→黄色という連想だろうか……と思ったが、探してみたら原作イラストで、錬成光が黄色く表現されているものがあった。

エドワード・エルリックさんによる錬成シーン。
設定として黄色なのか、その場の表現によって変わるのか、どちらだろうか。


エドはテーマカラーが黄色、もしくは赤なので「エドの錬成光だけは黄色」という可能性も。(字幕放送ではエドの台詞は黄色、アルの台詞は青表記だった)
漫画本編のカラーページの中で錬成光は描かれた事があるだろうか。あるのなら、何回ぐらい登場し、それぞれ何色なんだろうか。調査してみたら面白そうだが、単行本はほとんどが実家にあるし、カラーページも単行本だと白黒になるしなー



マスタングの一人称について。
普段は「私」なマスタングが、ヒューズに対してだけ「俺」と言っていたのが意外だった。
マスタングは原作でも「俺」と言った事はあっただろうか?多分なかったように思う。
初め「脚本の人が初歩的なミスをいきなり1話からやっちまったな!」と思った。
だが、DVDでも修正されていなかったし、その後も何度か「俺」と言っているので、間違いではなく、そういう設定なんだと気づいた。
同性の、気を許している相手にだけは、気安い感じの「俺」という一人称が自然と出てくる、という。
部下をはじめ、仲間といえる存在がたくさんいるマスタングの、中でも一番近しい存在という事を表わしているんだろうか。
リザもやはり、特別に一歩近い存在ではあると思うが、異性と同性ではまたポジションが変わる。

2回だけお父様が登場したのが嬉しかった。

一度目は、アイザック錬金術を発動した瞬間に、閉じている目が開くというカット。二回目は、アイザックが始末された瞬間に、開いていた目が閉じられるというカット。二回目は、一回目の逆再生?
漫画では、人気が出ずに早期終する可能性を考えて伏線を序盤から貼りまくるというのは不可能で、お父様もけっこう後になってから初登場を遂げた。
お父様を惜しみなく1話から出しちゃうのは、後から作られるアニメだからこそ出来る事。
いきなりお父様のご尊顔が拝めて大変ありがたかったナムナム(-人-)


お父様はなにに反応していたのだろうか。
アイザックの使う、錬丹術に反応した?
自分が仕掛けた賢者の石による防壁(?)を突破して錬丹術によって地脈の力をフルに使う者がいる事に気づいから顔出しをしたのか?
でもそれならば、メイがセントラルで何度か錬丹術を使った際にも気づいているはず。
錬丹術は関係なく、賢者の石の発動の方に反応したという方が妥当か。



エドとアルについて。
エドがチビチビ言われすぎw
チビである事はキャラづけの一つであるし、ハイスペックさを緩和させ親近感を抱かせるためのものでもあるし、後々明かされる設定のためにも重要なものではあるが、ちょっとくどい。エリシアちゃんにまで言われるとは……
放映当時、原作ではエドがもうけっこう大きくなっている時期だったから、初期エドは本当に小さかったんだなーとしみじみしとはした。

アイザックの攻撃からアルがエドをかばうシーン。
アルがでかいせいもあってますますエドが小さいw
ここは、エドを引っ張りながら反転してアイザックの攻撃に背を向ける、というアルの動作が自然で良かった。
戦い慣れている事が感じられるし、生身でない自分の体なら傷つかないから盾にしやすい、という事も悲しいながらに熟知している様子もわかる。
その後にエドがアルの胸をコンコン叩いて「サンキュ」というのも、生身の人間に対してする動作ではないが、ものすごく自然に行われている。
アルがああいう体になってからのコミュニケーションの取り方というのが二人にとっては当たり前のものになってるんだなー。悲しいが、阿吽の呼吸も感じられ、小気味良いシーンでもある。

アイキャッチについて。


かっこいい、と気に入ったアイキャッチだったのだが、これも当時は不評だった。
「フォーメドゥーアーケミストゥ」という英語のタイトルコールがダサイという意見が多かった。
発音を真似てフォーメドゥーアーケミストゥフォーメドゥーアーケミストゥ一人で言いまくっていたぐらい気に入っていたが、このタイトルコールって結局誰が言っていたんだろう?
キャストクレジットの中でもふれられていなかったし、謎だ。
2ちゃんねるにて「twitterの監督発言によれば、ネイティブの人が担当していたらしい」との書き込みを見かけた事があるが、そのソースであるtwitterの発言を実際に見た事はないのであやふやだ。


エドの背景はオレンジ、アルの背景はくすんだ赤。
コート羽織って今からどっかへ行くぜ、といった感じのエド、動きがさほど感じられず、俯いているような様子のアル。
影のつけ方もアルの方が濃い感じだし、全体的にエドが明るくてアルが暗いという印象を受ける。
なんらかの意図があったのか、特に意味はないのか。
アルが暗い感じなのは、単に目の光を強調するためかなー



第1話は、漫画だともっと後になって出てくるキャラたちが顔見せのため集合している。
中でも、ヒューズを出したのは良かった。
彼のあれこれの展開については衝撃を受けたという感想を多く見かけるが、漫画でのその辺りの展開はリアルタイムで追ったわけではなく、ある程度まとまった時点で読んでいた。そのためか、それほど激しく感情が揺さぶられたりはしなかった。
退場する前のヒューズ本人ではなく、退場した後の周囲に与える影響の方が大きく印象に残った。よその漫画でいえば、BASARAの四道と同じポジションのキャラクターだった。最大の見せ場が退場シーンであり、退場のために登場するといった感じ。
(どうでもいい事だが、「BASARA 四道」で検索するといきなり「四道死す」というアニメのサブタイトルが引っ掛かるのはどうにかならんのだろうかwネタバレwww)
アニメでは尺の都合で序盤は展開がとても速い。漫画ででさえも登場回数が実はものすごく少なかったヒューズが、薄いキャラになってしまう恐れもあった。1話でエルリック兄弟を家に泊め、彼ら二人の事を妻に語る、短くてもそのオリジナル展開だけで、薄くならずにすんだ。



ところで、ヒューズの家は漫画だと一戸建てだったはずだが、なんでアニメではマンションになったのだろうか。
背景美術担当の人がガイドブックで、色んな街が出てくる話なのでその街ごとの特色を強調した背景作画にした、といった発言をしていたが、その一環だろうか。
田舎のリゼンブールは一戸建てが普通だが、都会のセントラルは集合住宅が一般的だよ、といった意味で差別化を図ったのか。

マンションというと一戸建てよりなんとなく格が落ちる気がするが、部屋は広いし、お皿を飾ったりと、なかなか暮らしは豊かそう。アメストリス軍の給料はいいようだ。
三人暮らしにしては食器棚は充実しているし、テーブルは広くソファの数も多く、エリシアの誕生日会に限らずしょっちゅう祝い事やらを催してはヒューズ邸でわいわいやってるんだろうなと妄想させるものがある。



以上。ものすごく取り留めのない感想になってしまったが、書いていて楽しかった。