第2話「はじまりの日」感想(Aパート)

漫画では5,6巻の辺りで描かれるエルリック兄弟のエピソードが2話で登場。
エピソード順にこだわりを持っているとこの変更は嫌なものだったかもしれないが、エルリック兄弟の旅立ちの始まりを先に持っていくという構成は良かった。メインヒロインでありながら漫画では予定よりも登場が遅れてしまったウィンリィの顔見せを早めに行えるし、マスタングエルリック兄弟に与えた影響が描けて、早い段階で彼の人となりも見せられる。
でも、順番としては良かったが、省略っぷりは残念だ。本筋に関わる部分はちゃんと描かれているが、枝葉のない木はさびしいもの。改めて見ても、1クール目はテンポが速い。
漫画既読者としては省略っぷりが気になってしまうし「未読者は話わからんのではないか?」と不安に思ったりもしたが、放送当時の感想を見るに、先入観のない未読者の方が序盤はすんなり楽しめていたようだ。



サブタイトル画面のデザインは毎回異なる。
2話のタイトル画面では、左下に大きく、エルリック兄弟のつくった「人体錬成の錬成陣」が、右上にはマスタングの手袋に印された「焔の錬金術の錬成陣」が描かれる。
人体錬成陣が大きく取り上げられる話の中に、焔の錬金術師が介入していくからか。


以下、2話の時点ではわからないネタバレあり。

アバンについて。
OP前にはアバンが流れた。2話から登場するこのアバン、その後も何度かOP前に流されたが、いつの間にか流されないようになった。
序盤のまだ視聴者が設定をよく知らない時期の間に「錬金術では無から有を生み出せない」「人体錬成は禁忌」という事を刷りこむためか。

アバンの中で流れるこの「生命の樹」の図は、2話の本編中にも登場するもの。
天に根が向かい、地に枝が向かうという非現実的な図で、キリスト教に由来する。そっち方面には疎いのでよくわからないが、宇宙を模した図だそうで、仏教でいえば曼荼羅のようなものかな。



続いて流れるこの映像。
左右から男性と女性と思しきシルエットがスライドしてくる。中央で人型が重なったと同時に青く光る錬成陣が築かれ、その中に赤い石が生まれる。石の中では無数の人々が苦しみ喘ぐような姿が見られる。
ここのナレーションは「無から有を生ずることあたわず。何かを得ようと欲すれば必ず同等の対価を支払うものなり」と言っているところ。
先の展開を知らない人には、よくわからない抽象的な映像。でも知っている人ならば、賢者の石の製造過程を露骨に示しているとわかる。
男性と女性は「様々な人々」の象徴で、様々な人々を錬成陣の中であれこれする事によって賢者の石が生まれ、賢者の石の中ではあれこれされた人々が苦しみ続ける……という事だよなー



エドの回想の中ではまず、自身が片手片足を失い、アルが全身を失ってから数日後、といった様子の姿が登場する。マスタングらとは既に出会った後。手足はなくても、かなり前向きさを取り戻している様子。

エドは本を読みながら「クセルクセス」「東の賢者」と口にする。先の展開についての前ふりのようでこの辺はとてもニヤニヤした。
本を読むなんて家の中でも出来る事だが、日の下にいる方がいいとアルが車椅子を押してきてくれたのだろうか。足だけならともかく、腕までないと車椅子を自分で動かすこともやりづらそうだ。
見返して気づいたが、このシーンの背景は真理についての描写の記事で触れた、リゼンブールの景色と同一のものだった。ここの背景を真理のシーンで使いまわしたようだ。

回想は更に遡り、現代より10年前、エドが5歳でアルが4歳の頃へと移る。
トリシャの声がちょっとイメージと違っていたがトリシャ可愛いよトリシャ……と思っていたらすぐに場面が切り替えられ「母さんは逝ってしまった」とものの数十秒でトリシャ死亡。なんという早さ。
倒れる姿、病床の姿、葬式、そういった物は描かれず、ついさっきまで元気そうに笑っていたトリシャの名が、あっという間に墓標に刻まれたものとなった。
漫画では、葬式で涙するエルリック兄弟の姿が描かれた。だが、アニメでは母の死に際しての涙は描かれない。


墓場に居続ける兄弟を迎えに来たウィンリィは「死んだ人の事を思って泣くと、その涙の分だけあの世で死んだ人も悲しむって」と兄弟に向かって言う。
この時点ではウィンリィの両親はまだ生きている。肉親をまだ亡くした事がないからこその、無神経さと思いやりの同居した台詞で、後のウィンリィへと跳ね返る台詞でもある。これはアニメオリジナルのものだったかな?

ウィンリィにその言葉を投げかけられたエドは数秒間うつむき、その間、髪で表情は見えなくなる。
泣いてるのか?とドキッとさせる間の取り方だった。実際、泣きだしそうだったのかもしれない。それでも、あくまでもエドの涙は描かれない。


幼少の幼馴染三人組はみんな絵はまるっこいし、声は高めだしとやたら可愛い。ウィンリィの「めしぬきだからねー」はきゅんきゅんした。



母親を生き返らせるために人体錬成の方法を求める兄弟二人は、それから5年間ほど、ひたすら錬金術の修行に励む。

昼夜も季節も問わずに励み続ける兄弟の姿が景色で表現される。田舎出身者なら既視感すら覚えるような、現実的な色彩の風景が続く。


だが、人体錬成のための理論が完成し、人体錬成が決行される事になった日の風景は違う。

赤い。とにかく赤い。カラスも鳴きだし不吉さ100%、黒猫もぞろぞろ出てきそうな雰囲気で不気味だ。
アングルも、いつものように正面からではなく上から見下ろすような形になっている。
人間の顔に下からライトを当てると不気味な表情に見えるのは、下から光が差すという事が自然界ではあまり起こらない現象だからだという。家をああいった角度から見るというのも現実ではあまりない事だからか、不気味さに拍車をかけているのかもしれない。
もう風景だけで人体錬成失敗フラグがびんびん




人体錬成の陣を描き「魂の情報」として互いに一滴ずつ血をこぼす兄弟二人……ここらへん、二人の顔が描かれないのが怖い。術の手順についてエド一人だけが淡々と語り、アルはそれに対して一言も返さないという流れが続くのも怖い。
ホラーアニメだったら、エドが知らない間にアルが別のなにかと入れ替わってるとか、そういうホラーの定番展開が起こりそうなシーン。


ここで「魂の情報」として、トリシャの遺伝子を継ぐ二人が血を材料とするが、肉体と魂は別のものだから、血という肉体的なものを与えても「魂の情報」にはならないのではないだろうか。「肉体の情報」にはなるかもしれないが。
魂と肉体は精神を通じて引かれあうと作中では語られているので、兄弟はその理屈をもとに、魂と肉体は密接なものであるから、血液は魂の情報になると結論づけたのだろうか。



いざ人体錬成を始める、という時になって、兄弟は顔をちゃんと見せる。これからトリシャに会える、という期待に満ちたような明るい顔。
「行くぞアル」 「うん」
と、ちゃんとアルも言葉を発してくれる。どっかのホラー小説みたいにアルがエイリアンとかと入れ替わったりはしてない。
一連のホラーチックな演出からちょっと気が抜ける瞬間だが、これからがほんとうのじごくだ……!



術が発動された瞬間の兄弟の顔は、既に成功を確信しているかのように明るい。漫画では「わくわく」という擬音がつけられていたほど。
人体錬成の準備をしている場面では台詞と効果音のみでBGMは無しだったが、陣が妙な動きを始めたところから不穏な音楽が流れ出す。
人体錬成は失敗し、陣から出でた無数の触手のようなものが、エドの左足とアルの全身を奪っていく。

表皮が剥がれるようにして体が失われていくが、肌の内側の肉とかがグロテスクに描写されるのではなく、異次元空間のようになっている。ここは漫画ではどうなっていたっけなとこの前見てみたら、闇の中に光が走っているような描写はアニメ独自のもので、漫画では影のようにスクリーントーンが貼られていた。
荒川弘はグロ描写はあまりやりすぎないよう自主規制していたそうだから「本来は肉を描きたいところだが、あえてぼかしてトーンにした」という感じが漫画からはした。
アニメのあの描写も「持っていかれる最中は、物理的にけずりとるわけではないからああいう風になる」というわけではなく、ぼかしただけの表現なんだろうか?



アルがエドへと伸ばした手を、寸前のところでエドは握りとる事ができなかった。
切ないだけじゃなくけっこう後々、重要なシーン。



漫画という媒体では、演出のために背景を書かない事がしばしばある。でも、アニメではそういう事はあまりない。
エドが「真理の扉」のある真っ白な空間にやってきたシーンは、毎回カラーの背景が描かれるアニメという媒体ではより印象的になった。白いよー広いよーこわいよー

真理の扉でかいよ真理の扉。ここではまだ明示されないが、真理の扉に描かれる図柄は人によって異なる。
エドの真理の扉に描かれるのは『生命の樹』で、アバンに登場するものと同じ。



そして登場する「真理くん」。彼もまた対峙する人によって、真っ白な姿である事は共通しているものの、シルエットや人格が異なる。
「オレはお前たちが世界と呼ぶ存在、あるいは宇宙、あるいは神、あるいは真理、あるいは全、あるいは一、そしてオレはお前だ」
最後の言葉が示すように、真理くんは対峙する者をそのままに映し出す鏡のようなもの。
真理くんの声は加工されているが、エドとアルの声を二重音声にしたものになっている。エドだけではなくアルの分も……というのが後々の伏線にもなっている。音声のあるアニメだからこその表現。漫画を読んでいて真理くんの声というのはイメージできていなかった。
アルの声はぱっと聞いてわかるが、エドの声は加工の具合のせいかここでは誰か知らないおっさんのようだ。



真理を見せられたエドは、その最後にトリシャの姿を見た。

エドはそれを、真理の果てには求めていたトリシャ自身があるという事、もっと真理を見ればトリシャを取り戻すちゃんとした方法がわかるという事、だと解釈していたようだった。
でもあの姿は、後の事を考えれば、エドの願望が反映された結果にすぎなかったんだろうか。



エドが左足を通行料として持っていかれ、そして現実世界へと戻るまでの間に流れるBGMが好きだ。錬金術に関係した場面でよく流れる、暗くて厳かなワルツ。誰かが称してた「闇ワルツ」という名前が脳に定着してしまったが、正式名称はなんだったっけな。

その音楽を背景にしながらの「持っていかれた」というエドの叫びがすごい。
エドがよく叫ぶ事が多いという役柄なせいもあってか、エドの中の人の叫び声はよく聞けるが、上手いなーと毎回思う。
左足は、持っていかれる時のように中が異次元にはなっていない。直接的にグロテスクに描かれるわけではないが、中にちゃんと肉がつまっているのがわかる。


ちょっと明るくしてみた「人体錬成によって出来たトリシャのような物体」。
肋骨や足など、骨がかなり外側に向かって飛び出ているような形。内臓はあんまりなかったんだろうか?
片手をエドに向かって伸ばすが、やがてその手は力なく地に落ちる。
動くたびに響くぐちゃぐちゃっとした感じの効果音がまた気味の悪さを誘う。
持っていかれた時のアル、真理の中で見たトリシャのシルエットのようなもの、それらに続き三度もエドは目の前の手を取る事ができなかった。
漫画だと、トリシャのような物体は全身のシルエットは黒く塗りつぶされていたが、差し伸べられた手はエドと同じように白い、人間の手指を持ったものとして描かれていた。アニメでは全身同様に手も黒く、形こそ人間の手そのものだが、異質な感じがする。普通に肌色で描写したら生々しすぎるからだろうか。





アルの魂を定着させるために、片足を引きずりながら匍匐前進するエドの様子が痛々しい。
地面に血の軌跡が出来ているところが……画面切り替え後には包帯で応急処置が施されていたが、失血死してもおかしくないレベル。



こうしてエドは、鎧に魂を定着させるための陣を描き、初の手パンを遂げる。
真理を見たら手パンができる、などと理屈で考えて行ったわけではなく、無我夢中でやっている。
この瞬間のエドの、意思の強いまなざしが好きだ。
トリシャが亡くなった時でさえも、アニメのエドには涙の描写がなかった。悲しみの中での悲しみの涙は当たり前のものであるから描写せず、弟を取り戻すという、ある意味では前向きな中での強さを持った落涙が、初めて描かれるエドの涙(涙を流さずに目にためているだけのシーンはあったが)。
「トリシャの死が悲しい」と表現する上では、葬式の中で泣いているシーンを1カットだけでも挿入した方がわかりやすかった。著しく尺を取るわけでもない。それなのに描かなかったのは、こちらでのエドの涙を強調するためじゃないだろうか。
序盤の頃のアニメの描写の取捨選択はなんかちょっとピントがずれてる感じのところもあったので、特に深い意味はなく、買いかぶりすぎているだけかもしれないがw でもそう思えた。
漫画では、アルの魂を取り戻すための手パンのシーンでエドの正面顔は描かれず、そこで涙を流す描写もない。アニメであえてここで、強い意思を宿すエドの目と、そこから流れる涙を描いたのは、どういう意図があってのことだろう?
本編で、エドが回想以外の、現代での時間軸の中で涙を見せるのは一回だけ。その時の涙には悲しみの色はあまりなかった。そこの展開については2話を製作する中ではまだ把握されていなかっただろうが、初めて見せる涙も、最後に見せる涙も悲しみの涙ではなかったというのは、偶然でも面白い。
その時点ではわからなかった、最後の涙がどうなるかはアニメスタッフは意識していなかったと思う。でも、最初の涙は悲しみの涙ではなく決意の涙にしよう、という考えはあったのかもしれない。
エドの性格も、本編のストーリーも、辛かったり悲しかったりする事はあれど、本質的には前向きなものであると示すために。


Bパートは後日に続く